アニメ功労部門顕彰記念 鈴木敏夫Pトークショー

TAAF2021 アニメ功労部門顕彰記念「風の谷のナウシカ」上映&鈴木敏夫Pトークショー

2021年3月13日に鈴木敏夫プロデューサーの東京アニメアワードフェスティバル2021アニメ功労部門顕彰を記念し、『風の谷のナウシカ』が上映されました。映画上映後には鈴木敏夫さんのトークイベントも行われたので、今回はその様子をレポートします。

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はじめに

トークの内容に入る前に、トーク内に出てくる「風の谷のナウシカ」と「アニメージュ」について触れておきたいと思います。金曜ロードショーでも定期的に放送されているので作品自体は知っている人も多いかとは思いますが、「風の谷のナウシカ」が劇場公開されたのは1984年の3月11日で今から約37年も前のこと。そして、「風の谷のナウシカ」の原作はアニメージュ宮崎駿さんが連載していた同名漫画です。スタジオジブリ設立のきっかけともなったアニメ雑誌月刊アニメージュ」は1978年5月26日に創刊し、今年で43周年を迎えます。今では当たり前のように様々なアニメーション映画が制作され、子どもから大人まで幅広い世代が楽しみ、作品だけでなく作り手への注目も集まっています。当時はあまり表に出ることがなかったアニメを制作する人々をクローズアップしたのが鈴木Pが編集として関わっていた「アニメージュ」でした。

冒頭で高橋さんは、このアニメージュ創刊からナウシカ公開までの5年はアニメファンも作り手も育ち、広がっていった年で、今のアニメの発展にも繋がる重要な年。ナウシカは結節点(つなぎめ)となった作品と言える、と述べていました。では、前置きはこのくらいにして、ここからは当日のトーク内容を記していきます。

概要

日程:2021年3月13日(土)
時間:開演13:30〜(トークショーは15:30から約30分)
料金:1,200円(特別上映料金)
会場:グランドシネマサンシャイン
出演:鈴木敏夫さん、高橋望さん

コロナ禍で開催されたということもあり、会場にはモデレーターとして高橋さんが登壇、鈴木さんはオンラインで会場と繋いでの形式てトークショーは行われました。 

新しい価値を見つけたひと

アニメージュ創刊について

まずアニメージュの創刊エピソードと鈴木さんがアニメージュに携わることになったきっかけが語られました。

初代編集長だった尾形さんに喫茶店に呼び出されて「アニメージュを作ってほしい」と誘われたのがはじまりでした。アニメ雑誌を作ろうとしていることは鈴木さんも知っていたようですが、元は編プロに制作をお願いする予定だったため、声かけられた時はびっくりしたそうです。一緒に制作する予定だった編プロと揉めて尾形さんがクビにしてしまったという裏話も語られました。鈴木さん自身はアニメに詳しくなかったし不安もあったのですが、3時間くらい説得された結果受けることに。最終的に受けることを決めたのは「なんのために(この雑誌を)やるのか」という鈴木さんの問いに「自分の息子がアニメファンだから」という公私混同な尾形さんの回答に、個人的な事情でひとつの雑誌を作り出そうとしていることに面白みを感じ絆されたということでした。

尾形さんの息子さんはこの時点で社会人だったようなので、この時点で子どもだけではなく大人もアニメを楽しむ時代になっていたんですね。

アニメージュの内容について

作り手に光があたることがなかった時代に、作り手を取り上げたのが「アニメージュ」。 何故そういう内容にしたにかというと、鈴木さんはアニメに詳しくなかったので、アニメージュを作るにあたり3人のアニメ好きの女子高生に話を聞きました。その時、彼女たちがキャラクターのファンであることがわかったため、キャラクターマガジンにするという構想が生まれたそうです。ただ、実在する人物なら本人にインタビューすればいいのですが、人の作り出したキャラクターはそれができない。それなら演出とか制作したスタッフにインタビューすることでキャラクターに膨らみを持たせることができるんじゃないかと思ったため、作り手を取り上げる形となりました。

印象に残っている人について

西崎義展さん(宇宙戦艦ヤマト
プロデューサーシステムで作品を作った初めての人。色々な評価はあるけど、作品作りについてはピュアな人。沈んだヤマトを宇宙に飛ばすなんて西崎さんだからこその発想。

富野由悠季さん(機動戦士ガンダム
テレビアニメをやっている時から映画化についても考えていて実際映画も封切られることになって、そういうことも含めて面白い人。

鈴木さんは作家というと小説を描く人を作家というイメージだったが、小説が元気のない時代にアニメ業界を見たら元気な人がたくさんいたのは発見だったと語っていました。

アニメージュ」から「風の谷のナウシカ」アニメーション化に至る道筋

風の谷のナウシカ制作について

アニメ制作のきっかけもやはり尾形さんで、突然「何かを映画化しよう、ちょっとだけ」と言い出したのがはじまり。徳間書店は実写映画も作っていたので、それならアニメもできるんじゃないかと鈴木さんは思ったそうです。

徳間書店の他に角川もメディアミックスを進めており、今ではメディアミックスは当たり前になってきましたが、当時出版社の中では異端でした。

編集のままアニメを作ろうとした理由

鈴木さんは編集という立場のままナウシカの制作に携わることになります。それについて普通アニメを作るとなったらアニメ会社に出向なり、制作の中に入って作るということになりそうなものなのに、編集のままアニメを作ろうとした理由は何なのかと高橋さんに問われていました。この質問に対し、自身が映画好きでフランス映画の発展、ヌーヴェルヴァーグ(映画運動)がカイエ・デュ・シネマという雑誌(映画批評誌)がきっかけだったことを知っていので、雑誌を活用して雑誌から映画を作ることもできるのではないかと思っていたと鈴木さんは返していました。

アニメPとしての自覚

続いて、最初は編集としてアニメ制作に携わっていた鈴木さんが、アニメのプロデューサーとして自覚したきっかけはなんだったのかとの質問に対し、鈴木さんはナウシカのあとラピュタを制作することになったが、その時点でナウシカを制作した会社が機能しなくなってしまっていた。その時に宮崎さんにプロデューサーは鈴木さんだよねって言われたのがきっかけだったと当時の制作事情も含め回答されていました。

アニメージュでやりたかったこと

鈴木さん自身が映画好きということもあるが、カメラとかも取り扱いたかったそうです。アニメが漫画と違うのは動き。なのになんで動きを雑誌でやらないのって思っていた。動きのなかでカメラアングル、広角とかそういったものはアニメや漫画ともすごく関係のあることだからと最後まで熱量高く語っていました。

最後に 

アニメージュ」の創刊も「風の谷のナウシカ」の公開も、まだ私が生まれる前のことで、私自身が子どもの頃は普通に様々なアニメがTVで放送され、長編アニメ映画も上映されていた世代です。今回改めて劇場で当時の作品を見て鈴木Pの話を聞いて、アニメの歴史について触れることができました。

インフォメーション

今回の話でジブリアニメージュに興味を持った人は、是非来月銀座松屋で開催される「アニメージュジブリ展」を訪れてみてください。高橋さん曰く今回のトークショーよりさらに濃い内容となっているそうです!